こじらせアラサーのブログ

斜に構えるのをやめていく

自由に生きられる30才マジサー

20歳になった頃、30代はまだまだ先だった。
25歳になった頃、アラサーはやって来た。
そして30歳になった今、私はマジの30=マジサーになった。

行きづらい20代だった。
モテなかったし自分がどんな洋服が好きでどんな髪型が好きなのかも分からなかった

10年過ごした。
ちょっとずつ、「私これ好きかも」が増え、美容室では「おまかせ」一択だった私が小さな希望を伝えることもあった。

3年前、壊れちゃいそうなくらい好きな人がいた。
実るわけのない恋だった。好きな人に好きになってもらえないのが怖くなった。未だに、いつも眼鏡のカレが裸眼で髪を撫でてくれている場面を反芻する。実らない恋だった。

1年前、突然世界は変わった。
会社には行けなくなり、6畳1間のうさぎ小屋での幽閉生活が始まった。割といいこちゃんで生きてたと思う。この状況で異動もした。あまりにも異動がつらくて、カレにLINEした。した瞬間非表示にした。悲しくてつらくてなにやってんだろうなって思った。

3ヶ月前、全てが無理だった。
私はなんとなく伸ばし続けていた髪も嫌になった。美容室に行って、「バッサリ切って派手な色にしてください」って勇気を出して言った。普段オススメで、以外言わないのに。
ちゃんと写真も見せた。でも、だめだった。美容師さんはなんだかんだ理由をつけて、その時の新色のダークブラウンを推していた。私が心の中でくしゃくしゃに握りしめてきた写真をチラ見して「これだとスジが浮いてきちゃうからやめた方がいい、他の色でも再現出来るから」って言われたもうそれ以上は言えなかった。私みたいな者が言って髪型じゃなかったんだ、と思うと、悲しさと恥ずかしさが交互に来て泣き出しそうだった。自分の意見が聞いてもらえないことの絶望感を味わった。
結局、出来上がったのは最新のダークブラウン色の長めのボブカットのマジサーだった。
しばらく色が抜けてくるのかも…と期待していたが、そんなことは全くなく、暗いのでプリンになることもなく、髪質だけがどんどん死んでいった。

まだ在宅勤務は続く。
ずっと家にいるから、常に髪型はひっつめ。たまの顔出し会議のときに髪の毛をセットするのが、あの日を思い出して憂鬱だった。

先週、流石に髪を切りたかった。
ここ数ヶ月の私はベッドと机の往復しか身体を動かしておらず、石のようだった。あと仕事が嫌な感じで忙しかった。
ということは、メンタルもフィジカルも最悪に調子も悪く、なんのやる気もしなかった。どーせお気に入りじゃない髪の毛なんて全く気にしていなかった。
そこから抜け出したくて髪を切りたかった。


数日前、髪を切った。
前の日に寝るのが遅くなってたから、朝イチの予約はキツかったけど、寝不足よりも今日髪を切る楽しみが勝っていた。メイクもした。
そして前回とは別のお店に行った。
中学生の頃から私の髪を切ってくれてるお兄さん、いつも「どうしたい?」「おまかせで」で大体素敵に仕上げてくれる。
でも今日は自分の意見を伝えたい。「どうしたい?」「内側を…内側だけ派手に…」「オッケー分かった」
あ、、これで通じるんだ。ホッ。
「前に行ったところでこうしてほしかったのにしてもらえなかった」の思いが溢れ出てしまった。
あまりにも髪の毛が傷んでたので、多分だけど修復に全力を注ぎたいって思ってたんだろうけど、なにも言わずに私の希望を聞いてくれた。
カラーのお姉さんも「ブリーチは?」って聞いてくれて「やってください!」って答えたときの誇らしさ。ブリーチは大学生の時に断られた事を引きづっていたことを思い出した。

最終的にもーーーこれ以上ないくらい理想的なインナーカラーが入った。髪の長さも外側の色も全部完璧に私の希望を聞いてくれた。とても尊重してもらえたと感じた、嬉しかった。嬉しさがこみ上げた。

鏡を見る度に嬉しい、this is me.って感じがする。襟足から覗く独創的な色合い、私の大好きな変なパーカーともすごく相性がいい。ほぼフリーターだけど。ピンク系のメイクを丁寧にしたい、なるはやで痩せたい、この髪型にふさわしくキレイになりたい。
髪型ひとつで人ってここまで前向きになれるんだ、って思った。

何かのご褒美に高級エステ、とかよく話を聞くけど、逆じゃないかな、エステを受けて綺麗になったから他のことががんばれる。

とにかく私は今すごく楽しい。シャンプーで洗ってそのままトリートメントなしで寝るなんてことはしない。私が欲しかった髪の毛だから大切に扱う。私自身もそうやって好き勝手やって大切にしていきたい。

とにかく自分の気に入っているものに囲まれるのはいいぞ。